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2000 7/23 週刊読売 -抜粋-
大学ゴルフ部の出身で、現在大手電機メーカー勤務のA課長(45)は、学生時代から自他ともに認めるゴルフ好きである。そんなAさんの「夢」がかなったのは今から6年前。渋る妻を必死に説得し、千葉県の名門コースの会員権を手に入れたのだ。1000万円というのは少々高い買い物のような気もしたが、相場は下落しており、Aさんには「今が買い時」に思えた。
しかし、Aさんの見方は甘かった。会員権価格は、購入後もズルズルと下がり続け、現在は100万円の値つかない始末。「プレーが出来ればそれでいい」と割り切ろうとしたAさんだったが、子どもの大学進学を控えて、家計は火の車だ。妻の手前、いつまでも週末はゴルフというわけにもいかず。やっとの思いで手に入れた会員権を手放すべきか、否か-まさにハムレットの心境だった。
■売却損に応じて税金が戻ってくる■
今、このまま売ってしまったら900万円の損失。しかし、ゴルフ会員権の場合、譲渡損失(売却損)が生じれば、他の所得と合算することができ、一度払った税金が戻ってくるという税制が認められてきた。この税制を利用すれば、900万円の損金のうち、何割かが戻ってくるという安心感があった。
ちょっと細かくなるが、具体的に数字を見てみると、こうなる。
Aさんの年収は1000万円で、諸控除を差し引いた課税所得は463万5000円。ここから納めるべき税金は47万7600円となるはずだ。しかし、1000万円で買った会員権を100万円で売るとなると、単純にいって900万円の損。これを確定申告すると、課税所得がゼロになり、47万7600円の所得税は全額がもどってくる。そのうえ、次の年に課税される36万9000円の住民税も納めなくてすむ。もし現時点で売却すれば、合わせて約85万円の節税が可能となる理屈だ。
この税制は、年収が大きいほど恩恵も大きくなる。
■損失額の3割回収ケースも■
年収2000万円の会社役員Bさん(51)のケースにあてはめる。
Bさんは、通常なら249万500円もの所得税を納める勘定だ。が、会員権の売却でAさんと同じ900万円の損を出したとすると、課税所得が大幅に減り、所得税は41万3600円で済む。それに軽減された住民税分を合わせると、約318万円も浮くことになる。
900万円の損失の3割以上が回収できるわけだ。真正直に納税しているサラリーマンにとっては、少々納得いかない税制ではあるが、現行ではまったくの合法なのである。
ゴルフ会員権に認められたこの税制は、専門的には「損益通産」と呼ばれるもの。
要は、買った値段より安く売った時に、その損失を他の収入、たとえば給与所得から差し引いて税金の計算ができるという税制である。
自宅を売却する際など、「生活に必要な資産」の場合には認められているが、それとは逆に、「生活に通常必要ない資産」に関しては、売却損は他の所得から差し引くことは許されていない。ゴルフ会員権の税制に詳しいある公認会計士・税理士は、こう説明を加える。「所得税法の施行令に、生活に通常必要ない資産として列拳されているのは、別荘用の土地や建物、競走馬、貴金属、骨董品など。ゴルフ会員権はこの中に入っていなかったため、損金通産できるのです」ところが、そんなAさんやBさんの安心感を吹き飛ばしてしまうような税制の見直しが水面下で遂行しているというのだ。
打ち明けるのは、大蔵省の租税部門を担当した有力OBである。
「なぜ、ゴルフ会員権だけが税制上のメリットを受けられるのか、整合性がはっきりしない。こうした批判は、税務当局の外からはもちろん内部でも何度となく繰り返されていました。
これまでは税制を改正するに至りませんでしたが、今回は担当部署などでも真剣に検討を加え、近くこの見直しを図る意向であると聞きました」損益通産は、会員権を持っているメンバーにとっては、大変ありがたい制度なんです。全面的にゴルフ会員権相場が下がっている状況では、損失の金額がかえってはこないものの、かなりの額を税金で取り戻せるこの制度は、一種のリスクヘッジになっているからです。
また、会員権業者も、とくに申告時期が近くなると、この制度があることを「売り」にしてセールスしているのは事実です。バブル崩壊で1000何円単位の損失が出ている会員権が多くあるため、損益通産をすれば、節税額も、かなり大きい。サラリーマンでも、退職後利用すると、退職金にかかる税金を節税できる。
これに”歯止め”をかけていたのが、損益通産を使う目的で退会したメンバーの再入会を禁止するゴルフ場の規制でした。ゴルフ場によってその期間は異なりますが、メンバーは一度退会すると、5年なり10年なり、再入会ができないような内規を作っているところが多いのです。
ところが、最近、一部有名ゴルフ場を中心に、この規制を凍結する動きが見られ、これは全国に広がっていく気配です。このようにメンバーは相場が下がるたびに安心して何回も損益通産を使うことが可能になるわけです。
こういった流が目立つようになれば、税務当局が、ゴルフ会員権の損益通産に目を付けたとしても不自然な話ではない。
バブル時代に投資商品となった会員権を、どうして税制上優遇しなければならないのか、という批評は以前からあったのです。ゴルフ界も節度を失ったかのように、この制度をどんどん使いまくってしまった。いずれ当局は見直しを図ってくると思っていました。
ゴルフ場にとって、ひとつ懸念されるのが、今は収まりかけている預託金の償還問題が再燃することです。損益通産による節税が閉ざされたメンバーは、ゴルフ場に対し、激しく償還請求することになるでしょう。
■税収増も当然視野に
財政状況が厳しいことから、税収増を当局がもくろむのも自然な流れだ。具体的な税額は明らかにしていないが、現行の損益通産によって還付される額は「年間で3500億円前後」と税務ウオッチャーは推測する。
ゴルフに興味がない向きにとっては、対岸の火事のような出来事だが、もし、この改正が正式に決定されれば、全国で200万人とも言われるメンバーや、会員権業者らが動揺することは必至と見られる。
迷っていたAさんのような人も、この税制がなくなるとしたら、その前に売却することを決心するに違いないだろう。
ところで、似たような贅沢品であっても、どうしてゴルフ会員権だけに損益通産が認められてきたのだろうか?
投資商品でもある別荘や骨董品、競走馬は売却に際しては損を覚悟しなければならない。
税務当局は、このような贅沢品の譲渡損まで救済してはいられないとしたのは当然の話だが、同じ贅沢品でも会員権だけは右肩上がりで値上がりし、売却して損金が生じるケースは少なかったのだ会員権購入で大損をする人が現れたのは、会員権がマネーゲームの対象になったバブル期以降のこと。
所得税法施行令が定められたころには、このような事態が想定されていなかったのではないか、というのが専門家の共通した見解だ。「しかし、法律というものは諸事情の変化に応じて見直していかなくてはならない」と主張するのは、税財政法に詳しい見識者の意見。
「本来の健全なスポーツをすれために会員権を買う人とは別に、本人は一切ゴルフをしないのに、投資目的で購入する人が急増したのが問題なんです。前者は従来のままでよいでしょうが、後者のような人には、この恩恵を認めない方向で改正されるべきだと思う」ただ、ゴルフ愛好者のなかには、何ヶ所もの会員権をもっているものの、年会費を負担に感じ、お気に入りコースを一つだけ残し、後は会員権を手放すケースも増えているという。そうした場合も投機目的といえるのかどうかは、意見が分かれるところだ。
■税の公平性から見直しに異議
一方、税の公平性という観点から異議を唱える専門家もいる。会員権問題に詳しい税理士によると「ゴルフ場が倒産すると、個人が持つ会員権は紙クズになるのに、法人は損金扱いで申告できる。根底にこのような不公平があるのをそのままにして、さらに損益通産まで認めなくするのはおかしい。ある年まで損益通産ができたのに、次の年からできないのでは、これまた不公平を重ねることになる」と 憤る。
また、「税務当局はバブル時代、会員権の値上がり分に対して、がっぽり課税してきたのに、今になって損益通産を認めないのでは、多少酷ではないか。それに、ゴルファーは、コースに出れば、ゴルフ施設利用税として、1回につき1000円から1200円の税金を払わなければならない。十分とは言えないかも知れないが、他のスポーツにはない税負担をしているんです」とはいうものの、ここ数年、損益通産による節税効果が宣伝され過ぎたためか、これを悪用する不正申告が相次いだ。
典型的なのは、96年に東京国税局が把握した神奈川県の会社員のケースだ。同じゴルフ場の会員権を持つ職場の同僚と示し合わせ、会員権業者を通じて売買したように装い、それぞれ約1500万円の譲渡損失が生じたと申告した。
ところが、同国税局が税務調査すると、実際に販売された事実はなく不正還付を受けていたことが発覚。結局、この会社員は、重加算税を含め1050万円を、同僚も860万円を追徴課税された。同様に、この年に、同国税局が見付けた不正は約70件の上ったという。
大多数の人が正直に申告するなか、こういった不正還付が増えたことが、会員権の損益通産を見直そうという要因になったのは否定できないだろう。一部の不逞の輩のせいで、サラリーマンに許された数少ない節税方法のひとつが奪われてしまうとしてら何とも残念な話である。